文化・景観

各集落が "おらあとう" の歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

現在、鳥帽子区では区史編纂の作業中だと耳にしました。
私の住む池袋区の区誌があり、以前読んだことがありますが、地質から考古学など、かなり専門的な記述の多いものでした。
富士見町には富士見町史という分厚い本が、上下と2冊あります。

でも、それぞれの集落でも歴史を綴ったものがあるってすごいことじゃないでしょうか。
一体どんな人達が書いているんでしょうか・・・?
ふっと沸いた疑問からそれぞれの集落の区誌(史)に興味を持ちました。

私は池袋区に住んでいるので、区誌編纂のご苦労などをご存じの方にお聞きしたかったのですが、池袋の「池袋村誌」は昭和45年に発刊されていて、編集委員の皆さんはすでに他界されています。

ちょっと話はそれますが・・・区誌の話で、雄六さんの話を思い出しました。
先ほど亡くなった初代井戸尻考古館長の武藤雄さんが、以前、民族資料館を廻りながら資料を説明した話した中に次のような話がありました。
この地域は養蚕が盛んで餌となる葉を取った後の桑の木がたくさん残りました。
その木を大釜で煮て、繊維を取ったそうです。
養蚕が盛んだったとは聞いていましたが、蚕の餌となる桑の木を利用して繊維を取っていたとは知りませんでした。先人たちは本当になんにも無駄にしなかったんですね。
その中でも、繊維から紙にまでしたのが富士見町の中でも葛窪区の3件だけだったそうです。
雄六さんによると、葛窪区が区誌を作った時に見てみたらその話が載っていなかったから買わなかったそうです。

その話に関しては、以前、葛窪区の加々見一郎さんからお話を伺ったときに、一郎さんのお父様が桑の紙作りの工場の設置・製造に尽力なさったとお聞きしました。
一郎さんは葛窪区誌の編纂委員でいらっしゃったのに、どうして書かれなかったのか残念に思いました。でも、むしろ書きにくかったのかもしれませんね。

 各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

写真は2010年に加々見一郎さん宅に伺ったときに拝見した葛窪区に残っている古文書です。
こういう古文書を読み解いて、各集落でも区誌(史)を書き上げているのですね。
葛窪区誌は平成25年吉日に発刊されています。
区誌編纂の話も伺いたかったのですが、残念ながら加々見一郎さんはすでに他界されています。

そんな経過もあり、葛窪区誌の編纂に関わっていらっしゃった平出清仁さんにお話を伺いに行きました。平出さんは協力員として編纂に関わっていらっしゃったそうです。

 各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

葛窪区では歴史に詳しい有志3人が資料の整理を始めていたそうですが、作業が進まず、区の事業として予算を組んで平成21年に編纂委員を立ち上げて本腰が入ったそうです。
ただ、古文書の多くを昭和13年(1938年)に起きた境小学校の火事で失っているそうです。運悪く、当時の境小学校の校長先生が、葛窪区の資料を借りて調査中だった時のこと。
そのために、東大文学部が行った境地区の調査や、町史、他の文献を読んで参考になさったそうです。
編纂委員は、学校の先生、農家、兼業農家、役場の職員、地元をよく知る人から人選し、
また、区民をあつめて3度ほど会を開き、「なんでもいいから話してくれ」と昔話の聞き取り調査もなさったそうです。

 各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

お話を伺った平出清人さんは、「もっと食べ物や人の暮らしぶりを入れたかった」とおっしゃっていました。ただ、そんな話は女性の得意分野。女性は嫁に行ってしまうし、嫁に来た人は古い歴史はわからない。なかなか難しかったとのことでした。

 

さて、現在編集中だという鳥帽子区の作業は?
鳥帽子区の編纂委員をなさっている小林公明さんにお話を伺いました。
平成24年から作業に入っているというのですでに10年が経過しています。
「3月24日で作業が終わる」というので慌てたら、「今期の作業が終わる」という意味でした!
あと、6~7年はかかりそうとの事でした。

鳥帽子区が史実の中で初めに残っているのは1655年。高島藩の記録に、鳥帽子区の穀高が記されているそうです。
村ができて、360年を祝って2015年には区史を出そうじゃないかという話が決まり、2011年に編纂委員会が立ち上がったそうです。

まずは倉に残っている資料を整理。
江戸時代の資料は古文書を読み解くことのできる村の長老が担当。
ただ、筆で書かれた古い資料を読むのは、他の委員の方にはかなりのご苦労だそうです。
編纂にあたって一番役に立っているのが、区の会議記録や各区長の記録だそうです。
やっぱり、記録を残しておくことって大切なんですね。

現在は項目をおこすところが終わったところ。項目別に得意な分野ごとに手分けをして肉付けの作業に移るところだそうです。公明さんに書き出した項目を見せていただきました。なるほど、これを精査して目次ができていくんですね。 各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

鳥帽子区ではどんな方が編纂作業をなさっているのか気になりますよね。編纂委員6名のほとんどが農家だそうです。そのために、冬季の3か月しか編纂作業ができません。大変なご苦労ですね。
時間がかかるのも納得です。

 各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~
とりあえず、今期(冬期)の作業が終わって、一息というところだそうです。

 

図書館に行って、郷土史と思われるものを借りてみました。
富士見町には39集落ありますが、ここには池袋区のものがなかったので、このほかにもかなりあるのではないかと思われます。

 それぞれ、編纂委員会などの会を立ち上げて編集作業をしています。

各集落がおらあとうの歴史を綴るもの ~ 区誌(史) ~

その中で目に留まったのが「小六の歴史 第1巻」
冒頭に「調査の経緯」とありました。
東大文学部国史研究室内農村資料調査会が、昭和32年3月26日から4月1日までの1週間にわたって、小六・池袋・田端の3集落の郷倉資料及び境支所所蔵の記録類の調査を行ったそうです。
前記の葛窪区誌でも、この東大文学部の調査がかなり参考になったという事でした。

 それぞれの区誌(史)、それぞれにご苦労が伺えます。
古代・中世・近世にわたり史実を大切に書かれているもの。
項目も、地質・自然・農業・水害・林業・交通・経済・宗教・村の生活などなど多岐にわたります。
みなさんからの原稿を集めたもの。
色んな伝え方があるんですね。

 とてもそれぞれを読み込むことはできまず、拾い読みをした程度ですが、ページをめくるにつけ、自分の住んだこの地域の歴史を後世に語り継ぎたいという熱い想いが伝わってくる気がします。
だからこそ、地域の住民で苦労して苦労して書き上げた歴史なんですね。

 私たちは、たまたま今という時をこの地で暮らしているわけですが、過去から受け継がれてきた暮らしの上に今があると実感します。
特に農村にくらしていると、田畑の一枚一枚をどうやって開墾したんだろう。
道端の道祖神にはどんな願いが込められているんだろうと目に留まります。
そして、その先には縄文時代にまでさかのぼって、この地で暮らした人々の世界観にまで及びます。長く受け継がれた歴史の上に立っていると思うと、感謝の気持ちで一杯になるのです。

 「縄文文化というものはない。長い縄文という時代にそれぞれの土地で花開いた文化があったという事。だから、地元の人間が研究しなくちゃいけない在野の文化なんだ」
井戸尻考古館元館長の小林公明さんの言葉が、すとんと胸に落ちてきました。

 

(Written by エンジェル千代子)

ルバーブ生産組合や井戸尻応援団をはじめ、様々な団体で富士見町の活性化のために活動中