少し長くなるのですが、私の住む池袋地区・社会福祉協議会で行ってきた井戸尻考古館・史跡公園に関する一連の活動をご紹介したいと思います。
まず、7月に井戸尻の蓮田・民俗資料館・博物館の見学会を行いました。
地元にありながら、「しばらく足を運んでいなかったよ」という方が、ほとんどでした。
ハスの花は、お昼くらいには閉じてしまうので、この時期、朝早くから駐車場に車が並んでいます。ハスを見るために「毎年、楽しみに見に来ているのよ」という方もいらっしゃいます。丁度、蓮の開花時期でもあり、当日も、多くのカメラマンが蓮の写真を撮りに来ていました。
しかし、蓮田の最盛期を知っている地元の皆さんにとって、現在の蓮田は寂しいものです。
「蓮田が毎年衰退してしまっているのは、残念だ」「公園全体の手入れが不十分な感じがする」などという感想が皆さんの口々から漏れました。
その後、民俗資料館・資料館を見学。
特に、民族資料館では、みなさん懐かしそうに昔話に花が咲きました。
場所を公民館に移し、前・館長の小林公明さんから、蓮田の立ち上げ当時や、手入れの苦労話を伺いました。
蓮の根は、一節が一年間で5mほど伸びるのだそうで、そのままでは根が混んでいい花が咲きません。毎年、区画割りして掘りかえすのが一苦労だそうです。しかし、それ以上に大変なのが、花が終わった後に、すべての花芽の茎を取ることだそうです。何種類かの蓮を育てているため、種類の違う蓮が交配しないようにしています。
参加者から、蓮が年々寂しくなっているがどうしてか?との質問が出ました。
公明さんからは「職員の数が減っていること。蓮は愛を持って育てなければいい花は咲かない」との指摘がありました。
その日の会の終わりは、「蓮の花が咲かなくなることや、公園の管理に手が回らないのも、行政との関わりがあるんだね。私たちも政治に無関心じゃいけないね」という話で閉まりました。
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9月、社協では議会傍聴に行きました。
参加者のほどんどが、初めての経験! 企画した甲斐がありました。
「議員さんも、勉強して質問してたね」という感想や
「国会みたいに、激論が戦わされているのかと思ったら、決まった原稿を読んでいるだけみたいだね」などと、厳しい感想も・・・
昼食をはさんで、7月の観蓮会で出た史跡公園に関して話し合う場を持ちました。
地元の住民として、考古館を応援するような事は出来ないでしょうか・・・
具体的に「署名を集めて、町に提出しよう」という意見も出ました。
しかし、最終的には、まず地元の歴史を勉強しなおすことから始めることとなり、井戸尻発掘当時をよく知る初代館長の話を聞くことになりました。
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そして先日、初代館長・武藤雄六さんの話を聞く会を設けました。
井戸尻遺跡は、地元の有志の皆さんが中心となり、諏訪清陵高校・地歴部の協力を得て発掘が行われました。当時、池袋区からも参加があったようですが、詳しい話を知る人も少なくなってきました。
「おらとの村の遺跡は、おらとの手で堀り おらとの村の歴史を自分たちで明らかにしよう! 」その当時の皆さんの気持ちに触れる機会になるといいです。
一方、池袋社協では、富士見高校の養蜂部と3年間交流会を持ってきました。初年度に取り組んだ、蜜源・花粉源の花壇作りは毎年手入れを続けています。養蜂部の活動を発表してもらったり、昨年は区の皆さんが高校までバスで出向き、草取りの手伝いの後に採蜜体験をさせてもらいました。高校生から学ぶことが多いのですが、4回目になる今年は、私たちの活動について一緒に考えてもらう機会を設けることにしました。
2・3年生は訪れたことがあるそうなのですが、1年生は来たことがない生徒がほとんど。雄六さんの話を聞いてもらう前に、井戸尻を見学してもらう事にしました。
学芸員の小松さんの話が面白く、みんな引き込まれて聞いていました。
やはり見るだけではなく、熱い思いを込めて語ってくれる学芸員さんの話を聞くのも、井戸尻の魅力の一つですね。
そして、雄六さんの話です。
昭和23年4月に、諏訪農学校が富士見高校として新しい高校として 雄六さんは最後の卒業生になるんです。富士見高校の生徒さんからすれば大先輩ですね
雄六さんと縄文土器の出会いは、六角石の採取から土器の破片を拾い始めたのがきっかけだそうです。
写真は、雄六さんが昭和23年に鳥帽子地区で発掘した、初めて形をなした土器です。
雄六さんが写真で示している、その先端部のみが地上に出ていて、歩いていて「けつまずいて転んでしまった」そうです。隣の桑畑から枝を拾ってきて掘ってみたら、道の傾斜に沿って土器が現れてきたのだそうです。
その後、尖石の宮坂先生の指導の下、地元有志で立ち上げた“境史学会”が中心となり池袋区と諏訪清陵高校地歴部の協力で発掘作業が進められます。
掘った遺跡の修復作業など、まったくの素人がどうしていいのかも分からず。先生から「勉強しろ」といわれても、誰に聞いたらいいのかも分からない手探り状態だったという事です。
昭和33年には、“井戸尻保存会”が結成され、境地区と鳥帽子を中心に150余名の会員が募りました。
そして、昭和40年6月、運営管理が町・教育委員会に移管されるまで、考古館の建設を含め、文字通り地元有志の皆さんの力で運営されてきた訳です。
今後の井戸尻のあり方について雄六さんからは、井戸尻がずっと唱えてきた 縄文農耕論をもっと大切に充実させるべきだとの提案がありました。
昼食をはさんで、高校生も交えて意見交換会を行いました。
高校生にも、雄六さんの話は興味深かったようです。特に発掘のきっかけが、歩いてつまずいた事だったこと。清陵の生徒が日曜日に支持なしに掘ってしまった場所から貴重な遺跡が出土したことなどのエピソードが心に残ったようでした。
意見交換では
「養蜂部が全国で発表している時に大切にしていることはなにか?」
「地元有志の会の井戸尻振興会も毎年草刈り作業などしているが高齢化している。再編成が必要」
「考古館の外に、館を応援できるようなグループができたらいいんじゃないか」
等、たくさんの意見が出されました。
一年を振り返り、とてもいい流れを感じます。
今後も、ゆっくりですが、地元の住民で何かしら、応援できるようなことが具体的に形になっていくといいなあ・・・と思っています。
(Written by エンジェル千代子)