不思議な石碑
信濃境駅から富士見駅に向かって県道を500メートル程歩き、脇道を右折したすぐそばに、不思議な石碑があります。平成7年に94歳の与市さんと93歳のかぞのさんが建てたらしいものです。文章の内容をよく理解することができないのですが、2人の思いが碑文のあちこちから伝わって来るような気がして、想像をかき立てられます。
石碑のタイトルは「五味次郎兵衛オオカミ退治 其の功に依り士族となる」。書かれている内容をかいつまんで言えば「乙事で生まれた自分に、父はいつも『次郎兵衛様は小石一つで九死に一生を得た』と話してくれた。借財を整理して上京。父の言葉を座右の銘に励み、故郷の近くの烏帽子に帰ることができた。このような実話を後世に残したい」ということでしょうか。
次郎兵衛さんが狼を退治したのは1799年(寛政11年)です。与市さんが生まれたのは1901年と計算できるので、狼退治から100年以上経っていても、与市さんの父親は頻繁に次郎兵衛さんについて話題にし、しかも、それが与市さんの座右の銘になったというのです。
それ程までに与市さん親子に影響を与えた次郎兵衛さんの狼退治のお話を、少し詳しく紹介します。
次郎兵衛狼合戦
事件は1799年(寛政11年)、乙事村で起こりました。次郎兵衛狼合戦の原資料がいくつも残っています。
- 「御書上」(寛政11年8月 乙事区役所所蔵)
- 「次郎兵衛義勇録」(寛政12年 乙事五味氏所蔵)
- 「諏訪藩郡方日記」(「諏訪史跡要領4本郷村編」 諏訪歴談会編 郷土出版社)
などですが、おもしろいのは、寛政年間に出された「読賣新聞」瓦版。江戸で出された瓦版に事件の詳細が載ったのだそうです。「山の動物民俗記」には「平和が続き事件に乏しい江戸晩期の世の中に、強い印象を与えた出来事だったらしい」と書かれています。なんと次郎兵衛さんの狼合戦は全国レベルのお話だったのです。
(「次郎兵衛狼合戦」も収録された富士見町の民話の本)
「次郎兵衛狼合戦」は、長い間に多くの人によって伝承され、やがて民話の本にも収録されます。
一体どんな事件だったのでしょう。上記の本から次郎兵衛狼合戦の顛末をかいつまんで紹介します。
〜舞台は乙事村・後沢(うしろざわ)。知り合い2人と馬を引いて草刈りに出かけた次郎兵衛は南沢で、「後沢の橋の向こうで吉右衛門が狼に食いつかれて死にそうだ」と慌てふためいて戻って来た村人に出会います。3人は小石を拾い袂に入れて吉右衛門の元に駆けつけます。石を全部投げても狼は少しも弱りません。そばの川で更に小石を拾い、橋に上がって再び石を投げると、次郎兵衛の投げた小石が狼の頭に当たります。毛を逆立てて向かって来た狼。狼と次郎兵衛の格闘が始まり、次郎兵衛は左目の下から耳まで食いちぎられながら、左手で狼を押さえつけ、右手を狼の口の中に突っ込みねじ伏せます。そこへ駆けつけて来た次郎兵衛の兄が狼を打ちのめし、次郎兵衛を助けます。その後次郎兵衛は諏訪藩から米十表、銭十貫文、刀一振りを授けられ、士族として認められます。〜
このお話も含め富士見の民話は地域の民話関係のグループによって、紙芝居になったり、語り口を伝えようとCDが作られたりし、“今”に会う形で、更に引き継がれています。
〈×印・次郎兵衛の狼合戦の場所 「信州の狼(山犬)伝承と歴史」による〉
「富士見町探検隊」のホームページでは、狼合戦の民話を音声でお聞きいただけます。
→ 富士見町探検隊のホームページへ
富士見町だけに残る 「狼(いぬ)落とし」
日本では1905年(明治38年)に狼は絶滅したと言われます。けれども、江戸時代、富士見町にはたくさんの狼が生息し、大きな被害を及ぼしていました。だからこそ狼を退治した次郎兵衛さんのお話が広く伝わっていったと思うのですが、「次郎兵衛狼合戦」以外にも富士見町には狼に関係する遺構が残っています。
次郎兵衛さんの時代、狼の被害に苦しんだ人々は狼を捕獲するため「狼(いぬ)落とし」という落とし穴を作ります。現在、立沢地区と乙事地区で2例が確認されており、町の文化財に指定されています。「富士見高原の民話」に収録されたお話によると、狼落としが残っているのは諏訪地域では富士見町だけで大変貴重ということです。
また、狼をはじめとする鳥獣の被害から逃れるため、人々は神仏への祈願をおこないます。富士見町のいくつかの地域で狼を眷属とする三峰権現が勧請され、現在も乙事、机、先達などの集落に祠が残っているそうです。尚、富士見町史には「三峰権現は神使が狼であり狼は猪や鹿を獲物にするということで、獣害よけにご利益があるとされた。しかしその一方で、狼は人畜を襲っていたのだから皮肉な話である」とあります。
(乙事下社にある「乙事三峰神社」)
語り継がれるお話があるということ
「次郎兵衛狼合戦」の舞台となった乙事の南沢、後沢の今の様子を見に行き、何人かのお年寄りの方と出会いました。畑仕事の最中だったので恐縮しながら声をかけたのですが、どなたもにこにこと大変嬉しそうにお話をしてくださいました。子どもの頃おじいさんに語ってもらったという経験や民話をまとめた学校の先生のことなど話が弾みました。また、今でも残っている次郎兵衛さんのご子孫の家や合戦の場所なども案内してくださいました。
(現在の後沢 次郎兵衛が狼と組み打ちした場所か)
(現在の南沢 合戦が合った場所の近く)
今の乙事の年配の人たちのお話ぶりや、石碑を作った与市さんの思いなどから察するに、次郎兵衛さんの律儀さや勇敢さを好ましく思う気持ち、士族になったことへの憧れ、同じ郷土の人という誇りなどが、「次郎兵衛狼合戦」伝承の原動力になっているのではないでしょうか。そして、これから次郎兵衛さんのお話や狼にまつわるお話はどう伝えられていくでしょう。
長い間語り継がれてきたお話があるということ、これも地域の「宝」です。
参考文献 「富士見町史 上巻」
- 「信州の狼(山犬) 伝承と歴史」 大橋昌人 ほおずき書籍
- 「富士見高原の民話」 富士見町民話野会編 長野日報社
- 「富士見高原 ふるさとの語り草」 富士見町教育委員会
- 「山の動物民俗記」 長沢武 ほおずき書籍
(Written by 村上不二子)