学校の先生から、植物、地学の専門家へ
加々見一郎さんは、富士見町の最東端の地区、葛窪の生まれ。境小学校、諏訪中学校(今の諏訪清陵高校)を出た後、代用教員として富士見小学校に勤めながら教員の免許を取得し、その後、諏訪圏内の小、中学校に約41年と8ヶ月の間勤められました。
中学校では、理科と数学を教えられていました。先生方の資質を高めるために学びの場を提供している信濃教育会では、夏休みに、植物、動物、地学などの講習会が開催されていましたが、加々見さんはその中で、地学の講習会に参加され、30数年間県内各地をまわって研究されました。また、先輩の先生方からの教えや本との出合いなどを通じて植物や地学に係る知見を高められ、今では富士見の植物、地学の専門家として活躍されています。
加々見一郎さん
富士見の自然と文化を愛し、守る活動の実践へ
加々見さんの解説による巨木めぐりツアー
古い資料もわかりやすく説明してくださいました
加々見さんのお父さまは、戦後、境村初の公選による村長や教育委員長を勤められたり、町のために尽力されてきました。また、養蚕で使われたあとに残った沢山の桑の木を有効活用するため、桑の木の皮から作る紙作りの工場を設置し、紙の製造を行うなど精力的に活動をされていたそうです。その血を受け継いだ加々見さんは、学校の先生の退職後も多方面で活躍されてきました。
まずは、板橋区の自然の家で社会教育指導員をつとめ、子供たちに山を登りながら植物を教えるといった活動をなされていました。また町の教育委員を12年間され、教育委員長も務められていました。
昭和45年に三菱セメントが塚平でセメント工場を作る計画をたてたとき、それに反対し、富士見の自然と文化を守っていくため、「富士見の自然と文化を守る会」が結成されました。加々見さんはその設立当時から会員として働かれ、今では顧問として活躍されています。
また、学校の先生方による県内の各所の地学を学ぶ会に参加されていた仲間と一緒に、世界各地の地学を楽しむ旅も続けられています。
いつも楽しみながら、自然と文化に親しむ
葛窪地区の貴重な資料がたくさん
加々見さんにお話をうかがっていると、「これは楽しかった」「楽しみながら○○やった」と先生としての働き、自然と文化を守るための活動、いずれもとても楽しみながら取り組まれていることがわかりました。この「楽しみ」が加々見さんが生き生きと元気に活動を継続されている秘訣なのでしょう。
加々見さんは、「葛窪地域の石造物、歴史、信仰、行事、自然(湧水、巨木、草花等)についてその由来やまつわる話を後世に伝えていきたい。それによって富士見の素晴らしい自然、文化を守り育てていきたい」と語られています。
- 経歴:
- - 富士見町葛窪生まれ育った後、諏訪圏内の小中学校の教員として勤務。
- 現在、富士見の植物、地学の専門家として幅広く活躍。 - 富士見町 葛窪
- 富士見町の最東端地区。多くの史跡や景観が魅力。この葛窪から見える富士山は、「関東の富士見百景」にも選出される屈指の富士山ビューポイントとして知られる。
葛窪を紹介するサイト "おいでなして葛窪へ"