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ズーラ2012 「野焼き 夜ばなし 縄文ロマン」が開催されました。

ズーラ2012 「野焼き 夜ばなし 縄文ロマン」が開催されました。

ズーラ2012 「野焼き 夜ばなし 縄文ロマン」の開催日。↓

ズーラについてはこちらをご覧ください。

 
ずーら2012 「「野焼き 夜ばなし 縄文ロマン」の開催日

稲穂がまさに黄金色に輝いて、最高にいい季節!

まず、縄文土器の野焼きです。
2週間前の9月16日に、オプションで行った土器作り体験には2名の方が参加。
自分で作った土器を焼くのを、どきどき( さむぅ~^^;)しながら、この日を待ってました!

 
2週間ほど乾かした状態で野焼き

2週間ほど乾かした状態で野焼きになります。
火を起こしながら、周りに土器を置いていて乾かし温めます。
たくさんのおきを作り、平らにしてその中に土器を置いていきます。
この時、土器の上まで炎のすすで真黒になるような感じにするのだそうです。


土器が上まで黒くなったら 
土器が上まで黒くなったら、
土器の周りにげたを組んで、土器が炎に包まれるようにします。
そして、炎が自然に落ちて燃え尽きておきになるまで、そのままそっと置いておきます。
この日は大体、20分くらいでした。

火をおこして、大体2時間くらいで野焼きは終了しました。



縄文時代も、こうやって焼いてたのかなぁ~ 
縄文時代も、こうやって焼いてたのかなぁ~
熱々の土器をトタンの上に並べて冷やします。


焼きあがった土器を前に、悦に入っている面々です。 
焼きあがった土器を前に、悦に入っている面々です。

残った火で、夕食の時にいただく汁作り 
残った火で、夕食の時にいただく汁作り
これも縄文土器の復元です。


助っ人として「炎の会」の皆さんが来てくださいました 
この日の野焼きには、助っ人として「炎の会」の皆さんが来てくださいました。
これが、正式な“野焼き装束”です。
かっこいい!!!
今から銀行強盗!?

復元家屋に場を移し、宴会の始まり 
さて、これからが本番!
復元家屋に場を移し、宴会の始まりぃ~
 
古代米焼酎の蓮の葉茶割りで象鼻杯の体験

お待たせいたしました!
古代米焼酎の蓮の葉茶割りで象鼻杯の体験です。

マスの塩焼きを火で温め、蓮の葉に巻いたちまきと縄文汁でおなかが一杯に・・・


前館長の小林公明さんの話で縄文の世界へ 

前館長の小林公明さんの話で縄文の世界へ   心は縄文で一杯!!
縄文の話になると、夢中になってしまう前館長
土器の文様のヘビやカエルの話から、月の話へと・・・
こちらはいつ、口を挟んだらいいのやら、タイミングをつかめず、何回息を呑んだ事か・・・
日常では味わえない時間ですよね。
参加者から「非日常の時間と空間に参加して、ぜいたくな時間を過ごしました。」と言っていただきました。
何よりも、企画した3人の縄文ガールズ(!?)がいつも一番満足度が高いような気がします。
楽しませて頂き、ありがとうございました!



今回は最後にちょっと愚痴らせてください。
私は20年前に、ここに引っ越して来るまでは、考古学なんて全く興味がありませんでした。
しかし、井戸尻は我が家から歩いて5分もかからない距離。
義理も感じ、時々行われる「縄文講座」なるものに出席しました。
それが、面白いのです!
土器に描かれた縄文の文様の謎解き。まるで質の良い推理小説でも読んでいるような感じでした。「次はどんな展開になるの!?」と、ドキドキしました。
どんなに皆さんが愛し熱中して研究しているか、胸にズシーンと落ちてきました。

一方、以前より「井戸尻は考古学会の異端児だ」と耳にしていました。それがどういうことなのか、ようやく何年か前に分かりました。
いわゆる考古学が土器学であるのに対し、井戸尻はその当時の世界観や宗教観なども含めて研究しています。どちらかというと民俗学に近いんですね。
でも、素人から見ると、その方がとっても理にかなっているように思えます。

また、縄文時代は狩猟生活が主だったという説が主流だった頃から、井戸尻では当初より縄文時代にはすでに農耕がお行われていたと主張していました。最近では、縄文時代に農耕がおこなわれていたことが定説になりつつあるそうです。

そして・・・
もうひとつの魅力。
井戸尻発掘50周年での副題でもあった「おらあとうのむらの歴史は、おらあとうの手で明らかに・・・」
昭和40年に文化財保護法のもと、考古館が町教育委員会に移管されるまで、宮坂英弌先生と諏訪清陵高校地歴部、そして、地元の井戸尻遺跡保存会を中心に、発掘が行われていました。私たちの町の井戸尻遺跡には、こんなすごい歴史があったんです。

私たちが井戸尻にひかれるのは、館長や学芸員の皆さんが、たとえ「異端児」と言われようが、一途に情熱を持って地道に研究を続けてきたからではないでしょうか?
話を聞いていると、みなさんがどんなに井戸尻を愛しているのか、よくわかるんです。   結局、人の心を動かすのは、そんな“人”の魅力に惹かれるからではないかと思うのです。

と、実はここまでが愚痴の前置きです。

井戸尻考古館のすぐ近くに一人の女の子が住んでいました。彼女は、保育園くらいの小さな事から、巻頭衣を着て井戸尻の縄文イベントに参加していました。
ずっと、井戸尻のすぐ近くで暮らしていて魅力を感じていてくれていたんですね。
大学では考古学を学び、彼女の夢は、井戸尻に勤めて研究をする事でした。

こんな一途で美しい話があるんだと、その事だけで私は胸が熱くなります。

今年の春、井戸尻での採用の募集があり彼女は応募しました。
3人の応募があり、残念ながら彼女は採用になりませんでした。
今回、採用された方がどうのというつもりはないのです。
ただ、彼女の事を知っている人間にとっては、彼女が富士見に帰って井戸尻で働いてくれるのが同じように夢だったんです。
彼女がとんでもなくだめだった訳ではないのなら、育てて欲しかったなぁ~
それが叶ったら、井戸尻の宝がまたひとつ増えるところだったのに・・・
今の富士見町を象徴しているような出来事で、あまりに残念で愚痴ってしまいました。
お許しください!!!!

 

(written by エンジェル千代子)

ルバーブ生産組合や井戸尻応援団をはじめ、様々な団体で富士見町の活性化のために活動中